きょう10月25日は加藤大岳先生の命日です。・・易数の取り方・諸占法の影響・連占と分占
きょう10月25日は加藤大岳先生の命日です。・・易数の取り方・諸占法の影響・連占と分占
易占法講座(60) 埒もない雑感 大岳樵人おはようございます。
きょうは尊敬する加藤大岳先生の命日です。
毎年、大岳先生の命日のブログを書くころは窓下にみえるアメリカ楓の梢が色好き始めるころです。
ことしは少しクスンでいるようで鮮やかさを欠いているように見えます。
【易爺】の視力の低下によるものか、感情移入をして観ているからかも知れません^L^
大岳先生はちょうど32年前のきょう・昭和58年10月25日に亡くなりました。
加藤大岳先生の易学・易術、「大岳易の特徴」については磯田英雄先生と田中洗顕先生が簡潔にまとめられた記事を紹介したブログがありますので興味のある方は、参照してください:
2017年10月25日
きょうは加藤大岳先生の命日です。・・・「大岳易の特徴」
https://takusankan.seesaa.net/article/201710article_12.html
きょう紹介する大岳先生のエッセイは『埒もない雑感』というタイトルですが、内容は易占に親しむ者にとっては非常に重要で有益な占法について書かれております。
【易爺】には、めずらしく初學のひとにも判るように親切な・・・というかオッセカイナ【ふりがな】を付けてみました。・・・あくまでの自己流の読み方ですので、疑問のある方はご自分で確認してみてくださいm(_ _)m
『易学研究』昭和37年11月号に掲載されたものです。1962年ですから、ちょうど60年まえ加藤大岳先生55歳のころ書かれたものです。
筆名・大岳樵人・・・だいがく・しょうにん/しょうじん・・・樵人とは「きこり」の意味です。このお名前を捩って・・あやかって、【易爺】は「五岳麓人」と申します、以後お見知り置きを・・・^L^
易占法講座(60)
『埒もない雑感』 大岳樵人◆数の取り方など
汎日本易学協会の忘年懇親会は、毎年十二月の研究会の後で催されますが、これには手数を省くために往復ハガキなどで出席欠席の回答などは取らず、全く行き当りばったりで成行き委せにしていますが、料理の準備をする都合があるため、参会者の人数は前以て【まえもって】会場に連絡して置かなければなりません。
いったい誰が出席するか、一人ひとり考えてみたところで、当日の天候の関係などもあって当てにならないので、卦【か】を起して、それで人数を割り出してでもみるより他に仕方ありません。
いつもは講習会の聴講者の方々に得卦占考して貰【もら】い、だいたい大過【たいか】なくいっているどころか、ある年の四月の総会の後の懇親会の時などは、菅原壮さんの得卦占考で、ピタリ一人の違いもない数が出ていました。
ところが、或る【ある】年の忘年会には、ウッカリして講習会での課題にすることを忘れてしまったので、会の前日になって、会場の方から参会者の人数を問われ、仕方が無くて私が自分で立卦しました。

この卦爻【かこう】から数を割り出すのには色々な遣り方があるかも知れませんが、私は簡単に艮の家【☶】の中に離【☲】がある象とし、離を三とする【※易爺★★★】が、三人ということはないので、これを三十名と見込みました。
それだけならば、賁の卦【䷕】だけで足りることで、爻の二位を示したのは無用の贅事【ゼイジ・むだ】になりますが、爻変【こうへん】、内卦に乾【☰】を伏していると見立てても、三陽爻が並んで、これも三十人と推定出来そうです。
それで、会場には参会者三十名と連絡し、なお、一、二名のズレを見込んで欲しいと、大事を取って置きました。
ところが開会となって、人数を数えてみると、出席二十九名。天候が雨だったせいか婦人の参加は一人もないという珍らしい集りになったけれども、新しく協会の集りに顔を出されたという方も少くなく、また余興は一つも出ず、終始・易談【エキダン】が交【か】わされるという真撃さで、協会の忘年会に相応わしい内容の充実したものになりました。
そうして皆んなの感興が盛りあがってきた頃、大熊茅楊夫人が、もう一つの他の忘年会を済まして駈け付けたのだと言って参加されましたので、一座はようやく三十名となり、私の占断も、聴講生並み【なみ】にようやく的中【テキチュウ】することが出来ました。
×
数を出すために立てた卦なので、数さえ割出せればそれでよいのですが、あとから離【☲】の中女が一人加って乾三陽の三並びになったのか、など余計なことを考えてみるのも、易を弄ぶ【もてあそ】者の愉しみ【たのしみ】です。
ところで、新年の岳麗精舎の方は年筮をお年玉にするため、その氏名までは、いちいち占定【せんてい】出来ないので出欠の回答を求めていますが、その申出を頼りにして人数を定めるために、幹事の方が何時も難儀をする始末です。出席の届けをして置いて欠席される方があったり、それとは逆に、申出無しに参会される方があったりして、連絡して置いた人数が狂う【くるう】ためなのです。
出欠の回答に頼ると却【かえって】って誤算し易の卦だけで割出すと、ピタリと人数が当るというのは、ちょっと面白いと思います。
あらゆる集会の幹事諸君が、みな易を嗜【たしな】まれるようになれば、ずいぶん世話が焼けなくなるように思われますが、果して如何【いかが】でしょうか。
◆諸家占法の影響
乾為天【けんいてん・䷀】や坤為地【こんいち・䷁】の卦を得た場合の判断は、昔から難かしいと言われています。
白蛾【はくが・新井白蛾先生】などは、乾為天は尊き【たっとき・とうとき】に過ぎて、常人には却って宜しく【よろしく】ないというような考えを持っていました。
然し、そういう卦の見方は封建的【ほうけんてき】で、常人【じょうにん】でも乾を不吉【ふきつ】とは出来ないように私は考えます。・・陽ばかりで陰を有たない偏向は勿論ありますけれども。
ところが、このところ私は乾為天【䷀】を得ると判断がうまくゆきません。株の動向などの場合もそうです。
それで考えてみたのだけれど、私は今、白蛾の易法の著述を進めて居り、程伝朱義【ていでん・しゅぎ】の水曜周易講座でも、卦爻の占考【せんこう】は白蛾の象意考【しょういこう】を紹介しているというように、白蛾にばかり没頭しているので、それで白蛾流で判断しなければならない卦が出るのではないかと、そんな詰【つ】まらないことを考えたりもしました。
そして、寄稿された占例などを見ますと、その人は今『真勢易秘訣【ませえき・ひけつ】』を読んでいる最中なのだとか、或いは【あるいは】『活断自在』【かつだんじざい】に夢中になっているところだろうなどと、直ぐ【すぐ】わかるほど、勉強している其【そ】の知識がまだ消化されず、明らさまに表面に出ているのが少くありませんが、そういう場合には、それで結構、的占【てきせん】するのかも知れないと、その未熟さが嗤え【わらえ】なくなってきました。
◆田中洗顕〔せんけん〕先生の株式占
十二月六日の水曜講座が終ったあとで、田中洗顕さんと雑談をしているうちに、低迷を続けている株の話が出ました。
そして十二月の一日から七日までの株の動きに対する田中さんの得卦は

だということでした。
困【䷮・沢水困〔たくすいこん〕】では低落も当然です。そして変【へん】は兌【☱・だ】から乾【☰・けん】に之き【ゆき】、これが目下【もっか】私には苦手の卦だけれども、私はやはり乾【☰】は高いという常則【じょうそく】を押し通したいのです。
おまけに爻変は上爻です。
それで、明日の七日、卦の日限【かのにちげん・上爻→最後の日】の最後のところで急反撥【反発はんぱつ】すると判じ、田中さんに前場【ぜんば】で買って一儲け【ひともうけ】なさいと言うと、田中さんも私と同じ占考【せんこう】なのだけれど、その七日という日が、急反撥の前の極限【きょくげん】に当るか、それとも其の日のうちに反撥を見せるか、そこのところが、なかなかむずかしいというような慎重な構え【かまえ】のようでした。
実際の動きはどうであったかと言うと、七日の午前に、それまでの最低値【=最安値】に墜ち【おち】、その午後に急反撥を演じた【えんじた】ということです。
乾【☰】は私たちに取っても貴き【とうとき・たっとき】に過ぎて身に当らないなどとは考えず、常人にも勢いの強い卦とし、また、必ずしも尊貴【そんき】な道とは言えない株式の動きなどに於いても【おいても】、乾【☰】はやはり高いという判断を押し通したいと、別に意做地【いこじ】になっているわけではないけれども、そう思っています。
然し【しかし】此の【この】占断【せんだん】を押しとおそうとしても、白蛾に関する仕事にかかっている限り、これから先、まだまだ乾為天【䷀】には悩まされるのではないかと覚悟しています。
◆分占と連占
岩手県の遠藤幸吉という会員の方から意見を寄せられ、
「一卦を得て、それに依って【よって】色々なことを抽出【ちゅうしゅつ】し、的中【てきちゅう】させるのが名占【めいせん】で、それは達人の技【わざ】には相違ないけれども、自分のような初学の者は、これとは逆に、幾【いく】つもの卦を取って其れを一事【いちじ】に集注するのも応験【おうけん】のある秘法と考えるけれども、どうであろうか」と言って、次のような占例が添えて【そえて】ありました。
×
麻疹【マシン】に羅【かか】った九歳の男の子、麻疹の病状そのものは大して悪くない。ただ時々腹痛を訴えるが、麻疹には腹痛は往々にしてある由【よし】。又【また】私共の農村では麻疹は自宅で安静にして置く習慣である。
だがなんとなしに気になるので、軽い気持で病占して賁【䷕・山火賁〔さんかひ〕】の三爻を得た。賁は病状【びょうじょう】明かならざる象【ショウ・かたち】。
爻辞【コウジ】に
「賁如【ひじょ】、濡如【じゅじょ】。
永貞吉【えいていにして、きち】」
とはあるが、永貞にして吉だけではどうもハッキリしない。
そこで、此【こ】の子をこのまま家に置いたら結果は如何【どう】かの占的【せんてき】で
師〔し・䷆水地師〔すいちし〕〕の六三。
「師或輿尸【し、あるいは、シカバネをになう】。凶【キョウ】」即ち【すなわち】死を意味して居【お】る。然し【しかし】ここで呆然【ぼうぜん】としては易占の意味はない。飽迄【あくまで】最良の方法を発見する迄【まで】は凡ゆる【あらゆる】角度より求占【きゅうせん】するのが占法【せんぽう】の使命である。
占的【センテキ】第二、この病人が入院したら結果、」如何【いかん=どうなるでしょうか?】。
得卦【トッカ】損【䷨・山沢損〔さんたくそん〕】の六四。
「
損其疾【そのやまいをそんす】使遄有喜【すみやかにしむれば=はやくすれば=ヨロコビあり】」之【これ】は未だ【まだ】見込【みこみ】がある。
更に第三、危険度はどの程度か。
得卦剥【はく・䷖山地剥〔さんちはく〕】の六四。
「剥牀【ショウをはぐに】以膚【はだえ=皮膚=もってす】凶【キョウ】。象曰。剥牀以膚、切近災也【ワザワイにセッキンするなり】」。之は【これは】今、何かわからぬが容易でない病因があるに違いない。
一刻も早くと云うので、田植【たうえ】最中【さいちゅう】何もかも放り【ほおり】出し、絶対安静を主張して医者に行く事を阻止【そし】せんとする家人等【かじんら】をどなりつけ、何やら自分でも皆目【かいもく】わからぬまま医者に背負【せお】って急いで飛込んだ。医者も始め麻疹のみと思って居【お】ったが、外科に廻【まわ】した処【ところ】、急性盲腸炎【きゅうせい・もうちょうえん】がかなり進行して居り、直ち【ただち】に手術、結果十三日目に退院の喜びを見る事が出来た。若し賁【䷕・さんかひ】の一卦に拘泥【こうでい】して居ったら、到底【とうてい】我々如き【われわれゴトキ】浅学【せんがく】の徒【と】では愛する子の死を食い止める事は出来なかったと痛感する。
×
これは一卦【いっか】数占【すうせん】に対する逆の占法【せんぽう】などという見方をしなくても、連占【れんせん】或いは【あるいは】分占【ぶんせん】などと称【よ】ばれる立卦【りっか】と言ってよいと思われます。
これは一つの占事【せんじ】を追求するのに多方面の角度から、真相を捉【とら】えようとするもので、多くの利点を有【も】って居り、この占例【せんれい】などは其の成功した場合ですが、このような成功と逆の場合には、得卦が余りに多く、それらの占示【せんじ】が互に【たがいに】矛盾【むじゅん】し、判断を帰一【きいつ】するのに却って【かえって】迷うという欠点を現わすこともあります。
従って、一つの事柄を占断するのに、何時も分占して其れを繋ぎ【つなぎ】合わせるというのではなく、一つの卦を得て、それだけではハッキリした見透し【みとおし】が出来なかった場合にだけ、角度を替【か】えて連占【れんせん】するというところが常則ではないかと思われます。
× × ×
まだまだ、続きますが、あと二回分ほどありそうですが、続きは明日掲載いたします。
現在は、易の卦で云うと天地否か地火明夷の時代ではないかと観ています。・・・こんな時代にこそ易の観方・生き方がもとめられるのではないかと考えています^L^
そうそう、「◆諸家占法の影響」というようなことが『易経』「繋辞下伝Ch10」の「もって卜筮する者はその占を尚〔たっと〕ぶ」の観方のひとつに当たるのではないか、と考えています^L^

加藤大岳先生のご冥福をお祈りいたします(合掌)
この記事へのコメント
今後は生家跡の公園に顕彰看板のPR,小説にしたい人物です。ウィキペディアに経歴も紹介しました。本ブログも参考にさせていただきました。