今日2月17日から『祈年祭』です

◆きょう2月17日から一週間『祈年祭』です。
「キネンサイ」or「としごいの祭り」です。

「年」をこいねがう【請い願う】祭りです。
「年=とし・ネン」とは、「稔〔みの〕り=ネン」で、穀物の豊かな稔りのことです。 今年の五穀豊穣〔ごこくほうじょう※1〕を願うお祭りです。

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◇上図が【易爺】は拙い字・・◉は甲骨文字、◎は金文、無印は小篆【しょうてん】・・ですが、
「年」の字は「禾+人」から成り、ひとが稲の穂の被りものをかぶっているのを象ったもの。
 人が「禾〔のぎ〕」つまり豊かに稔った穀物のカブリモノを被り、その年の豊かな実りを祈念しながら、舞い踊る姿をあらわしたのが「年」の字です。
「女」のひとが「禾」のカブリモノを被った字は「委」です。
「年」と「委」は対〔つい〕の文字です。

祈年祭は、「禾」のカブリモノを被って穀霊〔こくれい〕に扮した男女が舞って、豊かな稔りをこい願ったことが始まりだったのでしょう。・・・もちろん「年」には、田起し、稲の種播き、田植えから稔りの秋の収穫、脱穀・精米まで期間つまり一年間の意味があり、ことし一年間の安泰を願う意味もあります。

【蛇足】五穀豊穣〔ごこくほうじょう※1〕
 五穀とは五種類の穀物、豊穣とは豊に実ること、
 五穀豊穣とは多くの穀物が豊かに稔ることを意味します。

 では、五穀とは具体的にどんな穀物か?
『周禮』には「稲・黍〔もちきび〕・稷〔うるちきび〕・麥〔むぎ麦〕・菽〔まめ〕」
『漢書』には「麻・黍・稷・麥・豆」
『管子』には「黍・稷・菽・麥・稲」
と書かれています。
 麥はラーメン・ソーメンの麵や“おふ”の麩の原料である麥〔麦ムギ〕のことです。
 
 黍〔もちきび〕と稷〔うるちきび〕の違いは“もち米”と“うるち米”の違いです。もちきび〔黍〕は粘り気があるキビ、うるちきび〔稷〕は粘り気がないキビです^L^


◆白川静氏は『漢字の世界』のなかで次のように書いています:

 「年」は「稔」の初文で、「稔」は「みのり」と読む字である。
 年・稔はいずれも『説文解字』に「穀孰〔熟じゅく〕するなり」とあり、年を千声とするが、千とは声が異なる。

 字は禾の下に人の形を加えており、おそらく禾に象る飾りものを頭につけて、舞う姿であろう。それは祈年〔きねん〕の舞〔まい〕である。

 委も同じ構造法の字であり、『説文解字』に「委隨〔いだ〕なり」と しとやかな姿態の意に解し、字を会意とするのは、穂〔ほ〕の垂〔た〕れるさまを女の姿態とみなしたのであろう。

 しかし、年と委とは、おそらく穀霊〔こくれい〕に扮〔ふん〕して舞う男女の姿であろうと思われる。

 農耕の儀礼には、男女の性的な模擬儀礼〔もぎぎれい〕によって、その生成力を刺激しようとするものがあり、特に東南アジアにおける稲米儀礼にその例が多い。

『詩経』の周頌「載芟〔さいさん〕」には藉田〔せきでん〕の礼が歌われているが、その詩中には媚〔び〕たる あでやかな婦と、依〔い〕たる まぐわしき士〔おとこ〕とが点出されている。
 鄭玄の箋〔セン〕に、依とは「愛〔めぐ〕はしきなり」とあり、このような公式的儀礼として行なわれる藉田〔せきでん〕の農耕においても、男女の田遊び的な性的舞踊が行なわれたのであろう。

 *藉田〔せきでん〕とは、天子が農事をはげますために自ら耕したまう田のこと。


◆ところで「禾」の植物の代表である稲はひと粒の種籾【たねもみ】で何粒の籾が収穫できるかご存知ですか?
 なに!「瑞穂〔みずほ〕の國〔くに〕」の民〔たみ〕であるのに知らない!・・・ナンテ小生も知らないのでひそかに調べてみました:

 ネットで検索すると、一粒の種籾つまり1株当り「300から500粒説」「621粒説」「1000粒説」「3000粒」・・・とあり、どれを信じればいいのか判りません。

そこで<参照・出典:農林水産省HP、秋田農政事務所HP>と書いているHPがあり、これなら信用できそうです。

「一年間に食べるお米の量は61キロ 必要な田んぼの広さは40坪」と書いてあります。

そのHPには、H17年の秋田県のデータによると:

ひと粒の種籾つまり1株あたり1584粒のおコメが収穫できるそうです。
おコメ1粒の重さは0.02gですから、0.02×1584=31.68g収穫できるそうです。
計算がややこしいので約30gとすると、1000倍すると稲1000株から30kgのおコメが収穫できることになります。

日本人が一年間に食べるお米の量の平均は約60kgとする、上の二倍の2000株の稲が必要になります。

資料によるとコメ1kgを収穫するのに2㎡の田んぼの面積を使うそうです。
おコメ60kgを生産するには、2㎡×60=120㎡の田んぼが必要になる。
120㎡を坪になおすと120÷3.3=36.36・・・で、約36坪ですが、農業は自然が相手の仕事ですので一割ほど余裕をみて40坪の田んぼが必要、ということだそうです。

・・・詳しくは:
『本日のごはん塾』
http://gogolesson.jugem.jp/?eid=128
をご覧になってください。

◆一年間で1500倍にもなるのですから、稲はスゴイ!
これがお金なら二年で225万倍になります・・・どうです1000円を元金にして一年後には150万円、二年後には22億5000万円にもなります。
ただ、それだけの土地があったらという仮定の話です・・・最初1haの田んぼから初めて一年後には1500haの田んぼが必要になり、二年後には225万haの田んぼが必要です。
・・・ちなみに農水省のPDFによると、平成25年耕地面積(7月15日現在)のうち耕地面積は453万7000haだそうです(笑)

それに、年々厖大な人手も農機具も肥料も必要になります。
また雨の量や日照時間など、土地も含めた意味での自然の制約があります。
イネの生産には広い土地がある方が勝ちかも知れませんが、人の生存にかかわるものですから安全保障の観点から農作物をとらえる必要もあります。

・・・以上のことを考えても、稲作は最もエコなエネルギー源であると云えるのではないでしょうか?
・・・易爺が考える、エコなエネルギーは植物の光合成と太陽熱による水の移動による位置エネルギーです。これを利用しないで、太陽電池だの、風力発電だの、水素の利用だの・・・どう考えても効率的なエネルギーとは考えられません。
・・・日本人は、大昔から自然にやさしい生活をしてきた民族なんです。

◆そうそう、ちょうど易爺がいま読んでいる和辻哲郎先生の本に、こんなことが書かれています:
・・・
 そうしてみると、日本人は太古から魚貝と植物とを食っていたのである。従って稲の耕作を学び取った後にも、食糧の上に質的変化はなかったであろう。日本人は本来【野菜とお魚をたべる】菜魚食人種としての温和な性情を持っていたのである。だから、西暦紀元前後三、四百年の時代に、日本人が急激に発達を始めた時にも、彼らはこの優美な自然に似つかわしい温良な民族であった。

 そうしてこの特色は、暴王の烈しい征服欲や酒池肉林のあくどい享楽欲をもって特性づけられている古代シナ人、あるいは荒涼たる大陸の原野を馳駆〔ちく〕するのが その快楽であるらしい凶暴な外蛮諸族と著しい対照をなすのである。我々の祖先には熱砂から生まれるらしい強烈な幻想や、広漠たる大陸に訓練せられるらしい意力のねばり強さなどはなっかたが、しかし、ささやかな小山の愛らしい円さ〔まどかさ〕がいかに喜ばしく美しいか蒼空〔あおそら〕に抱〔いだ〕かるる優美な金剛山の姿がいかに偉大荘厳であるか、あるいはまた細かな珠玉の可憐な触感がいかに微妙であり、浅茅原〔あさじがはら〕の踏〔ふ〕み心地〔ごこち〕がいかに快いかを、鋭敏に感受し得る心はあった。

 もし この徴証〔ちょうしょう〕を具体的な形に求めるならば、大陸人の好愛する正確な幾何学的の線と、我々の祖先が好んだ軽い、柔らかな、優しい幾何学的な線とを、対照させるがよい。あるいは石器時代末期に属するらしい精巧な石棒・石剣その他の石器類の柔らかい輪郭を、大陸人の武器の物すごい鋭さと対照させるがよい。
・・・和辻哲郎著『日本の古代文化』より・・・

    ×  ×  ×
・・・日本人には“いわゆる南京事件”や“性奴隷”などの“残忍性”や“残虐性”は伝統的に遺伝的に持ち合わせていない民族なのです・・・その証拠は、記録を探せばいくらでもあります・・・日本の若者よ!我が祖国の歴史・文化・伝統に誇りを持て!!!ナンテ(笑)

・・・2015年のブログに少し手を入れました・・・

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「ことしのきさらぎにみとし【御年】のはじめたまわむとして、
・・・朝日のとよさかのぼりに、たたえごとおえたつらむと宣る・・・」
・・・去年は、新米が出回るころになって急にお米の値段が高くなって【易爺】は柄にもなくスパゲティや麺類・パンなどが多くなりましたが、今年は豊作になってほしいものですm(_ _)m

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