◆あの運勢暦の「高島易断本部」の創始者はニセ高島易者の元締め?!
◆あの運勢暦の「高島易断本部」の創始者はニセ高島易者の元締め?!
先ほど、小生は「高嶋象山」の詳しいことについては知るすべがない、といいましたが、目の前の本箱にありました^L^
あのフジTVで活躍していた露木まさひろ氏が書いた『占い師』という本のp318-p319に次のように書かれています。その部分を掲載いたします:
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干支暦の「高島易断本部」の創始者である「ニセ高島易者」の自己紹介の“口癖“は全部ウソです。こういうニセ高島易者が元亨利貞の四徳を重んじる易占ができるわけないでしょう!
そして、科学的占いを謳うヤカラは科学もしらない、占いの知らないヤカラです。占いとは何か、科学とはなにかを考察していないバカモノの言うことです。
・・・Yahoo!知恵袋のなかでも、科学的とか統計学的とか講釈をたれて自慢げに占いに貶したり、称賛したりするヤカラはどちらも相当程度が低いヤツです、そういうヤカラを「カテゴリーマスター」にするのはムシケラでしょうか(笑)
それと注意して欲しいのは、この露木まさひろさんがこの本で書いていることがすべて正しいわけではありません。加藤大岳先生のことも書いておられますが、以前読んだときの記憶では、間違っている箇所が多々ありました。高島嘉右衛門・呑象翁についても、さきほどざっと見たところ細かい部分で間違っている箇所があるようです。
このニセ高島易者の執念には凄いものがありますね、・・・「一朝一夕の故にあらず。その由って来るところのもの漸なり。これを弁じて早く弁ぜざるに由るなり。易に曰く、霜を履んで堅冰にいたる」ですね。・・・ニセ高島易者=高島象山 本名 牧恒三郎の人生は、悲しい運命ですね。
牧恒三郎の姓名占をすると、もちろん名前の「恒三」から雷風恒の三爻で判じますと、爻辞は「その徳を恒〔つね〕にせず。或〔ある〕いは之が羞じ【はじ・羞恥】を承【う】く、貞〔ただ〕しけれども吝」この伝には「その徳を恒〔つね〕にせず、とは 容〔い〕るる所なきなり」・・・人からは受け容れられる筈がない、と説明しています><;
先ほど、小生は「高嶋象山」の詳しいことについては知るすべがない、といいましたが、目の前の本箱にありました^L^
あのフジTVで活躍していた露木まさひろ氏が書いた『占い師』という本のp318-p319に次のように書かれています。その部分を掲載いたします:
1959年の11月、「黙って座ればピタリと当たる」の名喧伝文句で全国に名を馳せていた東京・神田の高島易断総本部長=高島象山が惨殺される事件が起きた。
ヤギ髭に丸メガネの顔づくりと、紋付袴の姿もなかなかのこの男は、電柱広告などを派手にうつ客引きPRが巧妙で、雑談もうまく、当時の占い界ではナンバーワンとまで言われた易者だった。株とギャンブルを好む一方、千代田区議を五期もっとめ、区会議長のポストも囁かれていた政治家でもあったため、騒ぎが大きくなった。殺されたことで、新聞・雑誌の記者たちは、ウサン臭さが付きまとっていた高島象山の本当の経歴に、執劫に迫った。その結果、江戸末期以降、いや中世から連綿と続いてきた“占い師の陰影”を象徴するような人物像が、浮びあがってきたのである。
彼はこんな自己紹介が口グセだった。
「二十三歳で上京し、明治の易聖・高島嘉右衛門に入門。門人帳にある二千七百人のなかで、二千六百六十番目の弟子だったもの、自分が最も可愛いがられ、二十五歳で免許皆伝。嘉右衛門の遺言に“財産は実子に継がせるが、易はオマエじゃ”と記されていたため、大正六年、高島家に入籍し、高島易断の本家本元を創始した。わしの易は科学的運命鑑定。そのへんの易者とはワケが違う」
メディアを利用してこんな大ボラを吹き、大風呂敷を広げながら、成りあがっていったのだ。
高島象山こと牧恒三郎は、明治時代の1886年岡山県生まれ。家庭的には恵まれず、幼少期にはかなりの辛酸をなめたらしい。易に興味を覚えたのは、岡山の漢学塾で玄関番をやっていたときで、二十三歳で上京したのは事実だが、明治の易聖=高島嘉右衛門とはエンもユカリも無く、実際は旅易者の仲間に入り、各地をドサまわりする生活だったという。
成育歴が易者にうってつけだったのか、流浪の易者のなかでも彼は頭角を現し、東京の街占者たちの親分格に出世。科学院象山を名乗り始め、弟子も養成。二百人ほどの門人を抱えるほどになったようである。その後、高島姓に変じるのだが、これは1931年に【『高島易断』を著した高島嘉右衛門。呑象翁とはなんの縁もなし】高島姓の家に入籍したからだった。ここまで徹底するところが、彼の稀有なしたたかさである。
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干支暦の「高島易断本部」の創始者である「ニセ高島易者」の自己紹介の“口癖“は全部ウソです。こういうニセ高島易者が元亨利貞の四徳を重んじる易占ができるわけないでしょう!
そして、科学的占いを謳うヤカラは科学もしらない、占いの知らないヤカラです。占いとは何か、科学とはなにかを考察していないバカモノの言うことです。
・・・Yahoo!知恵袋のなかでも、科学的とか統計学的とか講釈をたれて自慢げに占いに貶したり、称賛したりするヤカラはどちらも相当程度が低いヤツです、そういうヤカラを「カテゴリーマスター」にするのはムシケラでしょうか(笑)
それと注意して欲しいのは、この露木まさひろさんがこの本で書いていることがすべて正しいわけではありません。加藤大岳先生のことも書いておられますが、以前読んだときの記憶では、間違っている箇所が多々ありました。高島嘉右衛門・呑象翁についても、さきほどざっと見たところ細かい部分で間違っている箇所があるようです。
このニセ高島易者の執念には凄いものがありますね、・・・「一朝一夕の故にあらず。その由って来るところのもの漸なり。これを弁じて早く弁ぜざるに由るなり。易に曰く、霜を履んで堅冰にいたる」ですね。・・・ニセ高島易者=高島象山 本名 牧恒三郎の人生は、悲しい運命ですね。
牧恒三郎の姓名占をすると、もちろん名前の「恒三」から雷風恒の三爻で判じますと、爻辞は「その徳を恒〔つね〕にせず。或〔ある〕いは之が羞じ【はじ・羞恥】を承【う】く、貞〔ただ〕しけれども吝」この伝には「その徳を恒〔つね〕にせず、とは 容〔い〕るる所なきなり」・・・人からは受け容れられる筈がない、と説明しています><;
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