尊敬する仁田丸久先生の命日

おはようございます^L^
きょうは尊敬する仁田丸久先生の命日です。
本名 車谷常吉氏、易占のときの名は仁田丸久先生です。

本名の車谷〔くるまたに〕を後からさかさまに読むと「にたまるく」となりますが、巷では「ニタマルク」「ニンタマルキュウ」などいろいろな称み方をされているようです。
この御名前の由来にはもう少し深い意味があるようですが、山水蒙でソット闇のなかに隠しておきましょう^L^

晩年の仁田先生は、小生が住んでいる町と県境の猪名川をへだてた隣町に住んで居られました。大阪空港の近くなので加藤大岳先生が関西に来れれたときは、よく空港までお見送りに往かれたようです。

仁田先生が亡くなったのは、43年まえの昭和48年【1973年】5月1日のことです。葬儀はキリスト教の儀礼により執り行なわれました。・・・仁田先生は敬虔なキリスト教徒でした。そんな関係から予言の書としての『聖書』の研究は勿論のこと、数霊術や西洋占星術も得意でした。

また天行居の友清歓真先生と書信を交わす子弟のような関係で神道にも造詣がふかく、『古事記』や『万葉集』によく通じておられました。

易占については、先生ご自身は大岳易の系統であると書き残しておられます。


小生は、ここのところ株式占の研究(?)中でして、仁田先生の株式占のなかの「周易効伝」からの指示を得て、吉凶悔吝无咎厲の爻卦の如く卦に当てはめる、という方法をものにしようと長井金風先生の『周易効伝』と格闘中です(笑)・・・仁田先生の株式占については後でUPするつもりです。

仁田先生が亡くなった昭和48年は、小生は結婚したばかりで、その年のGWには宝塚の雲雀が丘花屋敷の叔父のところに泊まっていて、朝早くから先生の御住いの近くまで新緑のなかを散歩をした記憶があります。


例年なら仁田先生の命日まえに先生の御住まいの近くの八坂神社に御参りするのですが、きょうは箕面の寒山寺にある、加藤大岳先生が書かれた真勢中州先生之御墓の碑文のところまで散歩してきます。コースはむかしの巡礼道です・・・勝尾寺から中山寺へ向う巡礼街道です。たしか仁田先生の『周易裏街道』のなかに土曜日の夜、箕面の旅館でマージャンをして翌朝この旧巡礼街道を池田まで歩いて帰るというクダリがあったと思います。

ことしも仁田丸久先生のお好きだった『賛美歌312』を歌い捧げます:
(1) いつくしみ深き 友なるイエスは
   罪とがうれいを とり去りたもう
   こころの嘆きを 包まずのベて
   などかは下さぬ 負える重荷を

(2) いつくしみ深き 友なるイエスは
   われらの弱きを 知りて憐れむ
   悩みかなしみに 沈めるときも
   祈りにこたえて 慰めたまわん

(3) いつくしみ深き 友なるイエスは
   かわらぬ愛もて 導きたもう
   世の友われらを すて去るときも
   祈りにこたえて 労わりたまわん
              アーメン

先生のご冥福をお祈りいたします。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック