12月9日は『漱石忌』です。
◆きょう12月9日は『漱石忌』です。
『坊ちゃん』『我輩は猫である』『草枕』などで有名な小説家・夏目漱石が亡くなった日です。満49歳。
先日加藤大岳先生が書かれた「時・止まれば則ち止まる」というエッセイを読んでいたら、大岳先生の仙台の叔父さんからの葉書に書かれていた
という句について書かれていました。
小生も どこかでこの句を読んだ記憶があるのです。高校時代に読んだ漱石の小説のなかで読んだような気がしたので調べてみました^L^
漱石の『草枕』のなかに出てくる那古井の宿の欄間に掛けられている額に書かれている句でした。久しぶりに『草枕』を拾い読みしてみました。
このテンポのよさがいいですね^L^
◆加藤大岳先生のお話では この「竹影払階塵不動」の句の出典は『菜根譚』だそうです。大岳先生は次のように書かれています:
◆きょうは夏目漱石を偲んで、小生の好きな漱石先生の冬の俳句を掲載いたします:
『坊ちゃん』『我輩は猫である』『草枕』などで有名な小説家・夏目漱石が亡くなった日です。満49歳。
先日加藤大岳先生が書かれた「時・止まれば則ち止まる」というエッセイを読んでいたら、大岳先生の仙台の叔父さんからの葉書に書かれていた
「竹影払階塵不動」
・・・竹影・階を払えど 塵・動かず・・・
という句について書かれていました。
小生も どこかでこの句を読んだ記憶があるのです。高校時代に読んだ漱石の小説のなかで読んだような気がしたので調べてみました^L^
漱石の『草枕』のなかに出てくる那古井の宿の欄間に掛けられている額に書かれている句でした。久しぶりに『草枕』を拾い読みしてみました。
山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
・・・
このテンポのよさがいいですね^L^
◆加藤大岳先生のお話では この「竹影払階塵不動」の句の出典は『菜根譚』だそうです。大岳先生は次のように書かれています:
古徳云。竹影掃階塵不動。月輪穿沼水無痕。吾儒云。水流任急境常静。花落雖頻意自閑。人常持此意。以応事接物。身心何等自在。
(古徳・曰う。「竹影・階を掃うも、塵・動かず。月輪・沼を穿(うが)つも、水・痕(あと)無し。」 吾が儒・言う「水流・急に任(まか)すも、境・常に静かなり。花・落つること頻(しき)りと雖ども、意・自ずから閑なり」と。 人・常に此の意を持して、以て事に応じ物に接すれば、身心・何らの自在ぞ。)
これは断るまでもなく、心の持ちかたについて語ったものなので、このように悟ってしまえば、なるほど暢【の】びやかであるにちがいない。感情的なもつれや、行きちがいなどは、このような気持ちで接すれば、平穏・冷静に処理されるに相違ない。然しここに挙げられていることは、物理的には架空の事例で、もともと、竹影が塵を掃くこともなげれば、月の光が沼を穿がつということもない。ただ其のように見れば見得るというだけのことであるから、いかようにも受取り方が出来るけれども、物理的な作用を伴なうものにも、このような悟覚を以て対処し得るかどうかというと、私などには甚だおぼつかない。
例えば現に今【=第一次オイルショックの頃】、産出国のアラブ諸国の石油攻勢によって輸入が削減され、この寒空に暖を取るための灯油が確保されるかどうかも判らないということになれば、それとても、ただ我れわれの皮膚を通して肉体に刺激を与えるというだけのことで、やがて春暖が訪れれば、その苦痛などは跡かたもなく去ってしまうもので、そんなことで騒ぎ立て、大切な心の平静を乱すのは詰まらないと悟って、泰然自若たり得るかどうか。
このような場合に易はどのような手立てを教えるかと言えば、
石油欠亡の危急に瀕する前に、必要とする灯油を確保するだけの方策をめぐらし、欠乏に対する不安と、寒冷にさらされる苦痛を防遏【ぼうあつ】する手立てを予めすることを教える。そして其のあらかじめてする方途は「順にして以て動く」(予卦彖伝) ことを要請して、その必要限度からハミ出して買い溜めなどに奔るのを戒めると同時に、自分だけの手に負えないことに属するに相違ないので「侯を建つるに利あり」(同卦辞)と、親近の有力筋をも動かすことの利を説き、更に「日を終うるを待たず」(同六二爻辞)に迅速なるべきことを期待する。然し、不足がちな物資は、必要限度以上に保有しようとするのが人間の大きな弱点の一つなので、買溜め買占めなどを厳しく誠め「以て多きをあつめて、寡【少】なきに益し、物をはかり施しを平らかにす」(謙卦象伝)べきことを要請し、なおまた、それが一個人の力を以てしては不可能ならば、「之を益するに凶事を用うるに、公に告げ圭を用う」(益卦六三)とて、管掌当局に強く其れを要請すべきことを教えているが、然し当局者は予めこのような事態が起るかも知れないことに心配ばりをし「固く之を有もつ」て置かねばならないことも告げているのである。これなど易を貫いている功利的な思想から出たことで、心象の裡に悩みからの解脱を図ろうとする宗教との相違点とも謂わば言い得るかも知れない。そしてまた、時・止まれば則ち止まり、時・行けば則ち行くことを肝要とする易の時物対応性をも示しているわけであろう。
◆きょうは夏目漱石を偲んで、小生の好きな漱石先生の冬の俳句を掲載いたします:
愚陀仏は主人の名なり冬籠
冬籠子猫も無事で罷りある
冬籠弟は無口にて候
茶の花や智識と見えて眉深し
茶の花や黄檗山を出でて里余
緑竹の猗猗たり霏々と雪が降る
雪深し出家を宿し参らする
一つ家のひそかに雪に埋もれけり
この記事へのコメント
ルート6はロバート・メイの数値実験のことでしょう。
カオス的領域の1+√6のことかな?
舌安泰とは何ですか?
ヒフミヨは△回し▢なる (「草枕」 一 三 )
ヒフミヨは√四角で渦巻きに
(1;√n;√(n+1) ⇒ (1)+(n)=(n+1))
山口昌哉25回忌(12月24日)に献句
数の川を 隔てて カオス哉 ( 句碑の縁(夏目漱石;山口昌哉 )