きょうから72候の『霞初めてたなびく』

◆おはようございます^L^
きょうから72候の5番目の『霞初めてたなびく』です。
「霞」といえば、「後山に上る。春空アイとして四山霞たなびき、争われぬ春となりぬ。・・・」という徳富蘇峰の『自然と人生』のなかの一文を思い出します。漢文の教科書の冒頭に載っていた文章です、高校生になったばかりでヤル気満々でしたのでよく憶えています。・・・文語調というか美文調というのか知りませんが、漢文調の快さに感動した文章です^L^

・・・「春空アイとして」の「アイ」は「もや」の「靄〔あい〕」だったのか、藍色の「藍」だったのか、ということが気になって、先ほどまで本を探していました。ヤット意外なところに岩波文庫の『自然と人生』を見つけ出しました^L^

・・・「後山にのぼる」という題だったと記憶していたのですが、「初春の山」というタイトルで次のように書かれています:

  初春の山  徳富蘆花

後山〔こうざん〕に上〔のぼ〕る。

春空〔しゅんくう〕靄〔あい〕として四山〔ざん〕霞〔かすみ〕棚引〔たなび〕びき、争〔あらそ〕われぬ春となりぬ。
海〔うみ〕はゆらゆらとして空〔そら〕と一つに融〔と〕け、 練〔ね〕れるが如き水〔みづ〕の面〔おも〕に富士の白雪〔しらゆき〕ちらちら流れぬ。漁舟〔ぎょしゅう〕鷗〔かもめ〕より小なり。

 村々〔むらむら〕はまだ冬枯〔ふゆかれ〕れのままなれど、霞〔かすみ〕低〔ひく〕ふ地に這〔は〕い、春〔はる〕四〔よも※1〕に満〔み〕てり。 鳶〔とび〕一羽〔わ〕悠々〔ゆうゆう〕として山下〔さんか〕に舞〔ま〕ふ。
山崖〔がけ※2〕、畑〔はた〕の畔〔くろ〕、至るところ蕗〔ふき〕の薹〔とう〕青〔あを〕く萌〔も〕へ、榛〔はん〕の木〔き〕などは已〔すで〕に垂垂〔すいすい〕の花〔はな〕をつけ、 春蘭〔しゅんらん〕も早きは花〔はな〕さきぬ。

 枯草〔かれくさ〕枯葉〔かれは〕の間より春は簇簇〔ぞくぞく〕として萌〔も〕えつつあり。
  
 ※〔〕の漢字のふりがなは岩波文庫の通りです。かなづかいが一部原文とは違うところがあります。
【※1】四方〔よも〕でなく、四だけで「よも」としています。
【※2】「山崖」の二字で「がけ」としています。

    ・・・岩波文庫『自然と人生』徳富蘆花著より・・・


音読すると、春の悦びを感じた大昔を思い出します(笑)
いまでも口ずさむたびに、心が豊かになる文章です^L^

◆もう一つ、「春空アイとして」の「靄」が気になった理由があります。春がすみの「かすみ」は目がかすむのカスムでボンヤリぼやけて見える靄〔もや〕のような状態をいっている筈なのに、なぜ「靄」を「やすみ」としないのか?ということです。

諸橋徹次先生の『廣漢和辞典』には:

霞〔か・げ〕
①あさやけ・ゆうやけ
②にじ・ひがさ
③衣服の赤いたとえ
④なまめかしい
⑤はるか、とおい
⑥えび〔蝦〕
⑦瑕
⑧姓

国字として
①かすみ
②かすむ
③かすみあみ

霞の字のもともとの意味は朝焼け・夕焼けのように太陽の陽ざし・お日様の赤い色を指しているようです。

◆白川静先生の『字訓』には次のような説明があります:

『説文新附』11下には
「赤き雲气〔うんき〕なり」
とあり、夕焼けなどで赤くみえる霧をいう。
遠くたなびくもので、遐と通用することもあり・・・


◆新村出先生は『語源をさぐる』という本で次のように書いています:

・・・前略・・・
 ただもう一ついいたいのは、「カスミ」という言葉である。またそのカスミに宛〔あ〕てた漢字の霞のことである。このカスミという語の語源が漢字の霞の字の意味であるか、あるいはモヤ(靄)の字が示すような現象を指すのか、まだ語源学者がはっきりきめていない。後の意味、すなわちカスムとか、あるいは目がカスムとか、あるいはずっと近世になってできたカスリ、カスレル、カスルなどという言葉の語根または語幹の現す意味であるか、まだ決定されていない。

 それよりも、逆に漢詩の霞の字を詮索〔せんさく〕してみよう。霞の字は日本のカスミの意味ではない。アサヤケ、ユウヤケのごときヤケという現象を名づけたものであり、明け方および日暮れに、東や西の空がアカく焼けるような現象をいうのであって、時としては薄雲がかかっている場合もこめていうし、雲の全くない空をも併せて朝焼け、晩焼けと詩に歌ったことも稀〔まれ〕にある。しかしながら、それらの言葉よりも朝霞〔ちょうか〕、晩霞〔ばんか〕という方が普通である。これは、日本のアサガスミ、ユウガスミ、春ガスミというカスミとは全然別である。いわゆるヤケを示しているのである。


・・・以上から、霞を「かすみ」とよむのは国字です。日本語独特の意味であり、本来の字の意味ではないようです。

◇小生がいちばん気になっているのは霞のしたの部分「叚」の字です。
 『易経』のなかには「假」が家人・萃・豊・渙の4卦に、「遐」は泰の九五に出ています。
 また、
『礼記』には「爾〔なんじ〕の泰龜に常あるに假る」
『儀礼』には「爾〔なんじ〕の泰筮に常あるに假る」
、という易占にとって非常に重要な句があります。
 つぎの機会に詳しく書きたいと思います。

この記事へのコメント

2022年02月27日 18:37
徳富蘇峰の『自然と人生』のなかの一文を思い出します。漢文の教科書の冒頭に載っていた文章です

蘆花

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